バックグラウンド「ハチ」と『アイネクライネ』

米津玄師を私がはじめて認識したのは東京メトロのコマーシャルに『アイネクライネ』(2014)が使われていたのを耳にしたときだった。爽やかでエモくてポップで、バンドの音を基調にした新しい才能が出てきたなと思った。私が好む耳触り、サウンドの趣味を押さえていた。ボーカルのメロディラインやコード選びのセンスが独特で、コマーシャルで流れた断片のみでも存在を印象づけた。

それより前から、米津玄師はボカロP(ボーカロイド・プロデーサー)「ハチ」として、耳の早い人の心をすでにとらえていた。このへんの動きを耳のトロい私は知らなかった。私は人の声や生の楽器由来の音に強いこだわりがある。ボーカロイド音楽の隆盛をどこか遠く冷めた目で見ていた。

米津玄師の独特なメロディの節回し。それは、彼がボーカロイドで音楽をつくる活動をしたバックグラウンドが醸成したと私は考える。突飛な音程の跳躍もボーカロイドならなんなく歌いこなす。歌いこなすというか、機械だからそもそも「歌う」は仮想だ。ただ人間が指示したとおりの音を「返してくる」。そうした制作スタイルで培われたメロディセンスに「米津玄師」の声で命を吹き込むと、例えば『アイネクライネ』のようになるのだと思う。

コード進行の面白さについても、デスクトップ上で打ち込みしながら開拓したり発見したりする成果の積み重ねが作品に反映されているのじゃないか。もちろんギターを実際に弾きながら見つけることもあったかもしれないが。

『パプリカ』 Foorinが表現した懐古と憧憬

昨年、知り合いの保育士からの提案で、私はある保育園に演奏に行った。歌とギターと、フルートの編成だった。セットリストの中に『パプリカ』(2018)を含ませて、当日の編成に合わせた編曲で演奏した。当時、この国一円(あるいは世界中)の幼児・児童・生徒・青年・壮年ほかがこの曲で踊り狂ったのではないか。それほどの社会現象だったと思うけれど、どこか私はそしらぬ顔をしていた。耳がトロいのだ。でもその保育士から『パプリカ』を、とリクエストされたことを動機に、私も米津玄師の曲と本気で向き合うことになった。

https://youtu.be/T0valuAksuo

子どもをなめないように、という言葉がこの曲に関わる米津玄師の発言にあった……というのが私のうろ覚えで、出典を覚えていなくて申し訳ない。でもその言葉の通りだ。歌詞はまるで昔を懐かしむ…過去への憧憬を描いたかのよう。子どもにそんなことは歌えない、というのは大人の決めつけだ。メロディも、ボーカロイドで培ったであろう特徴的な跳躍音程が容赦なく含まれている。決して機械的ではなく、生声での表現に取り組んでからのキャリアが活きてか有機的なフックになっている。高度さを要求されるそれを、子どもの声が表現する「違和感」。米津玄師がプロデュースした小学生ユニット、Foorinだ。この斬新さが日本中を席巻した。

2020年2月に米津玄師は『パプリカセルフカバーを配信。8月に出たアルバム『STRAY SHEEP』(2020)に収録されている。サブスクリプションサービスでほかの作品も一気に視聴可能になった。

打ち込みが肉体性を際立たせる『STRAY SHEEP』

『STRAY SHEEP』は彼の打ち込みテクが花咲いている。それからベースのライン、リズムの書き込みと余白のとり方が秀逸。このあたりは、実際の演奏技術に裏打ちされていると思う。

歌詞には、意味を調べたくなる印象的でひっかかりのある言葉を随所に光る。こういうのを聴いて育ったフォロワーが無意識に真似て使うだろう。異質な響きが新しいポップミュージックを提案している。それはサウンド面でもそうだ。

ライブをやるとなったら、出来上がっているトラックの再生音を中心に歌を乗せて、さまざまな工夫でエンターテイメントを組むのだろうか。この荘厳なトラック数、音色数を持ったアルバムの楽曲たちをあえて生楽器のバンド、弾き語りや音数を絞った編成で表現するのも「映える」だろう。『STRAY SHEEP』ラストナンバーの『カナリヤ』をほぼ生楽器の音で描ききっていることから、米津玄師「音」の肉体性への思いを私は感じる。

青沼詩郎

米津玄師 official site「REISSUE RECORDS」

ご笑覧ください

青沼詩郎(筆者)による『パプリカ』カバー