社会が布団を剥ぐ毎朝
ポンキッキ・ソングとしても認知のある斉藤和義さんの代表曲のひとつ『歩いて帰ろう』
との対比としてのアイデンティティを真っ先に想起させるタイトルからして私をニヤつかせます。結局「いろいろある」から、ときには走っていかなくならない現実を描きます。この「いろいろある」の内実を具体的に描くことこそ作詞の仕事であるとする美学へ、現実を論拠にカウンター。ぼくは「できれば君と寝ていたい」のです。それだけ。そんなありふれた心の態度が私の真実の一面でもあるのだ……と共感を覚えるのです。
行きの道は、何時までにどこへ、何何を持って、どんな服装で、頭のなかの準備も済ませて……われわれの社会生活がわれわれを毎日駆り立てる非情にたじろくわれわれの背中に手を置き、まあコーヒーでものみなよ、おくれちまったらそれはそれで仕方ないけどせいぜい走って行こうぜ……と私を励まします。
仕事の義務がわれわれを無理やりにでも目覚めさせ、ふとんをはぎ、さぁいけ!と背中を蹴飛ばすかのように種々のパーカッションがシャバシャバパカパカと鳴りリズミカルがギターが刻むオケを、ちょっとけだるいようなブルージーな斉藤和義さんの歌声が横切ります。
走って行こう 斉藤和義 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:斉藤和義。斉藤和義のアルバム『WONDERFUL FISH』(1995)に収録。
斉藤和義 走って行こう(アルバム『WONDERFUL FISH』収録)を聴く
バカバカと野生的なビート。コンガの印象を最初受けたのですがジャンベなどが入っているかもしれません。皮ものタイコ類が社会の朝が来たぞオラオラと私をイビり散らします。ドクター・ジョンの“ガンボ(ごった煮)”的なパターンをわずかにズラしたみたいなリズムをしています。しゃくしゃくと右寄り定位のアコギがベーシックパターンを描きグルーヴに輪郭を与えます。斉藤和義さんといえばアコギのストラミングのリズムと歌、それさえあればまずは成立ファースト・フェイズというお印です。
ギュゥンと地下鉄のホームに向かって滑り降りるみたいにエレキのグリッサンドが入り、右トラックに左トラックに渡っていきます。“ガンボ”的なリズムのアクセントの位置をオルガンが強調します。3拍目裏と4拍目頭ですね。野生的なタイコが波紋を与える乱れる水面に我関せずといわんばかりキチキチキチキチ……とギロが平静を装います。クラヴィネット系の音色が派手にギラつき、目覚まし時計のけたたましさみたいな存在感を演出します。
斉藤和義さんのハーモニーのボーカルが清涼。高い声まで使いこなします、しみじみ良い声をしているなと改めて思います。間奏はベタづけのダイナミックマイクとミニアンプを通して歪ませたみたいなブルース・ハープの音色。労働の無情に寄せる悲哀を高らかに叫び上げます。
ABセクションの至ってシンプルな構造でコンパクトですがサウンドは物量があって豊かです。1960年代くらいの商業音楽ならこういうシンプルなサイズ・構造の曲も7インチシングルなんかでパカパカリリースされていたかもしれません。時代を超えた普遍の悲哀を感じます。
エンディグに目も耳も覆うようなエレキギターのヴァイオリン奏法的なボリュームがほわっと立ち上がりゆらめくような音色が一発。のち、すかさず『歩いて帰ろう』が次曲として始まるのが本アルバムの構成です。このエレキギターの音色一発が、めまぐるしく矢のようにすぎる日中の労働時間なのでしょう。そしてまた曲も「歩いて帰る」のです。
青沼詩郎
『走って行こう』を収録した斉藤和義のアルバム『WONDERFUL FISH』(1995)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『走って行こう(斉藤和義の曲)社会が布団を剥ぐ毎朝【ピアノ弾き語り・寸評つき】』)