長澤知之『ソウルセラー』に心を浸す

自分を、否定するもんじゃない。長澤知之の『ソウルセラー』が、そう言ってくれているような気もする。“小銭”は卑しくて小さい「私」のことかもしれないからだ。鳴らして行くんだ、それも“優雅に”なんだ。勝手にそう思って、私は心をこの音楽に浸していく。曲の解釈はいろいろでいい。『ソウルセラー』を、私は勝手にそう感じた。

出港する序奏 長谷川白紙『肌色の川』

私にしかできないことがあるかどうか知らないが、とりあえずこの世界で「私」は「私」しかいない。いや、それも視点をどこに乗せるか次第かもしれないけれど。音楽は、いろんな主人公のところに連れて行ってくれる。存在するような、触れられるものもような、そのどちらでもないような。最近、ようやく私はその存在をまともに認知しつつある。

星野源『恋』に寄せて 定型を超えるブルーノート

歌詞 “夫婦を超えていけ” の「超(こ)」のところが、♭している(半音下げている)。これは、普通のメージャースケールの音ではない。調の固有音でないのだ。既成の「夫婦」という型。それを、メージャースケールの「定型」にたとえてみる。それを超えていけ。そういう表現なのだと私は解釈してみる。