先日、ZAZEN BOYS『Kimochi』についてこのブログで少し書いた。

検索してたら、KIMONOSによるTalking Headsカバー動画『This Must Be The Place』が出てきた。

恥ずかしながら、私はTalking Headsを通ってきていなかった。

検索してみると、バンド・Radioheadの由来になっているのはTalking Headsの楽曲だという。アルバム『True Stories』に『Radio Head』が収録されている。

私はRadioheadのファン(先日はこのブログでこんな記事も書いた)であるにも関わらず、知らなかった。だいぶ恥ずかしいが、いま知らなかったらもっと恥ずかしいままだった。

で、Talking Headsの音楽をちゃんと通ってこなかったこともだいぶ恥ずかしいが、いま通らなかったらもっと恥ずかしいままなので堀りはじめてみる。

トニックレス?

というわけでの、Talking Heads『This Must Be The Place』(アルバム『Speaking in Tongues』収録、1983年)である。

なんとも不思議な、とらえどころのない曲である。

曲のキーはGっぽいんだけど、わかりやすくGのコードがばーんと鳴らされるわけではない。

ずっと、ベース音は|レ|ド|の進行を繰り返す。曲中、ずっとそうだ。

だけど、|レ|ド|上でベース音は面白い動きをしている。

「レレ、ミミソラ」「ドド、ミミソラ」(めっちゃ細部をはしょっているが)・・・みたいな動きをしているのである。これが、この曲に「調性」を感じさせないトリックになっていると思う。ぼんやりと、とらえどころ・つかみどころがなく、定まらない。

ムリヤリにでもコード進行を機能和声的にみると、|G(onD)|C|、つまりT—S(トニック—サブドミナント)をずっと繰り返しているみたいな感じか。かなり乱暴なとらえ方であるが。でもこのトニック(安定)には安定感がない第2転回形だからか。つまり、「トニック」じゃないかもだ。この曲中、「トニック」なんてものは一度も出てこないのかもしれない。

Gのコードだと考えるには、「レレ、ミミソラ」のベースフレーズの中では「ミ」「ラ」が浮いた存在になる。Gを基準に考えると、シックスとかナインスの音だ。

Cのコードらしきところでのベース音も「ドド、ミミソラ」となっており、「ラ」の音が浮く。Cを基準にみれば、シックスの音である。

そう、後部の「ミミソラ」はレ(GonD)上でもド上でも共通した音形だ。

歌メロ、デヴィッド・バーンのボーカル

ボーカルのメロディは基本Gメージャースケールか。ポップやロックで頻出するが、ヨナ抜きスケール風かと思ったが、この曲ではⅳは用いている。ⅶがまったく出てこない「ナ抜き」かと思ったが、サビで8分音符一個ぶんくらいの長さで、ごく一瞬出てくるのを見つけた。

歌メロの音域がメチャ広くて下のGからオクターブ越えてレまでつかっている。1オクターブと5度だ。ボーカリストのデヴィッド・バーン名義含め色んなパフォーマンスの動画を検索すると、違うキーに下げているパフォーマンスも見つかる。

高いよなぁ、こりゃ。でも、ヒステリックにならず、ピエロな感じがサイコパスっぽくて絶妙に無機質でオーガニックだ(?)。とにかく、私の語彙が尽きるほどに底知れないパフォーマンスなのである。

踊ってパフォーマンスしたりもしているし、ステージとか時間芸術のことを考えさせる。後進に与えた影響は底知れないのだろう。

音楽や視覚の奇抜さに対して、歌詞は平易な単語が多い。普遍的で大きいテーマに通ずるんじゃないかと思う。

むすびに

アフター・ビートルズ(そんな言葉あるのか?)というか、私は70年代中頃〜くらいの音楽でけっこうスルーしてしまっているものが多いことに気付く。我ながら不勉強だし恥ずかしい。けど、逆に、そこに魅力の畑があることに今更ながら気付く。ブラジルのコーヒー農園かと思う広さだ。音楽は尽きることなく面白い。

青沼詩郎

一緒に跳ね続けたらかなりのエクササイズだ。
映画『This Must Be the Place』からとのこと。本編、観たい。