愛のいろいろ 斉藤和義『歌うたいのバラッド』 一本は、主音(レ)にとどまってずっとその音を鳴らしている。 もう一本が、ユニゾンを離れて自由に動きだすのだ。 ここに私は感動してしまった。 愛は、ずっと「同じ」じゃない。 ずっと「同じでいること」でもない。 ときに、ちがったことをしながら、ちがった場所にいながら、それでも同時に世界に存在する両者の関係。 2本のギターのアレンジから、そんなことを想像したら私は涙腺にキてしまった。
肯定の讃歌 槇原敬之『どんなときも。』 さまざまなアーティストが、ミュージシャンたちが、自己肯定を歌にしてきた。それはつまり、「あなた」の肯定でもある。私はそういう肯定の歌が大好きだ。この世のあらゆるラブソングの中でも至上のものだと位置づけている。肯定は、愛なのだと思う。
荒井由実『卒業写真』に思う 「りんご」の真実 ファンクかR&Bの影響を思わせる。ドラムが非常にグルーヴィ。クリーンなエレクトリック・ギターが左、右にメロウなエレピ。ブラスやストリングスがサビを盛り上げる。音数の足し引きが非常に巧い。オルガンが空気のようにいて、曲の雰囲気のカンバスになっている。トーン変化のグラデーションも秀逸。
くるり『男の子と女の子』 やさしさのうつろい それも、常にうつろう。徐々に、ときに急激に更新される。「やさしさ」についてもそうなのだ。普遍性は、変化する。『男の子と女の子』の歌詞の一行は、そこまで含めて提示してみせた。私はそう感じる。
メーヴェの正体 19(ジューク)『あの紙ヒコーキくもり空わって』 「メーヴェ」ってなんやねんと当時から思っていたけれど、その正体も意味も知らずに、気にせず歌えてしまうアホが中学生の私だった。ちなみに今でもその自覚がある。
音の肉体性 米津玄師『STRAY SHEEP』を聴いて この荘厳なトラック数、音色数を持ったアルバムの楽曲たちをあえて生楽器のバンドや、さらには弾き語りで表現するのも「映える」だろうと思う。『STRAY SHEEP』ラストナンバーの『カナリヤ』をほぼ生楽器の音で描ききっていることから、米津玄師の「音」の肉体性への思いを私は感じる。
映画『Cocktail』サントラ 『Don’t Worry, Be Happy』Bobby McFerrin 『Cocktail』サントラで特筆したいのがBobby McFerrin『Don't Worry, Be Happy』。これ、楽器を一切使っていない。完全ナマオトオンリーのひとり多重録音だ。新型ウィルスの流行と巣ごもり活動の隆盛で多重録音する人、その発表や発信が一気に増えた印象があった先の春〜ゴールデンウィーク前後だったけれど、そんなのよりもずっとずっと前にBobby McFerrinはこんな芸当をやってのけた。アメリカのヒットチャートで楽器を一切使わない曲が1位になったのは初めてのことだったそう。
『山口さんちのツトム君』(1976) みなみらんぼうの風 曲がすごい。イントロの多国籍チャンプルーななんともいえない風合い。拍子が変わって、歌がはじまる。レゲエのようなアップビート。でも歌謡曲としての哀愁、歌心が炸裂している。
30年を越えたジッタリン・ジン『夏祭り』 1980年代と1990年代のちょうどはざまにいて、なんだかすごく、何かの黎明期のような気がする。幼かったから、当時の空気をあんまり私は記憶していないしわかっていなけれど、そんな気がするのだ。なんというか、とっても豊かで自由で奔放で楽しい。アカ抜けてもいるし、いなたく(いなかっぽい。いもっぽい)もある。とにかく私はこのプレイリストをすごく気に入ってしまった。
夢想の歌 The Monkees『Daydream Believer』 長く歌われ、多く親しまれる歌はときに「端的」だと思う。その本体を、主人公であるあなたや私ににゆだねている。だから私はこの歌を聴くし、歌いもするだろう。あなたもそうかもしれない。
反町隆史『POISON 〜言いたい事も言えないこんな世の中は〜』と発想の人・井上慎二郎 音には人間に本能的な注意を促す力がある。案外、幼児でも児童でも青少年でも成人でも、時と場合によっては泣いているその人を落ち着かせる効果がいろんな楽曲に望めるかもしれない。