このブログが生まれたきっかけ
私のブログサイト『∴bandshijin∵ カバーしたい歌』を訪れていただきありがとうございます。
私はこのブログサイトを2020年5月に立ち上げました。
それ以前から独自ドメインの自己運営ブログサイトを立ち上げたいと思っていたのですが、ものぐさで不器用な性格が幸いして(?)ずるずると遅くなっていきました。
私がブログサイトの立ち上げに踏み切れたきっかけのひとつがコロナ禍だったかもしれません。
あくまで偶然が重なっただけではあるのですけれど、当時就いていた仕事の都合でいつも以上に休みを取得できた事情が貢献したかもしれません。コロナ禍が生んだブログサイト……と称するのは大袈裟かもしれませんが、一理あるかなと思っています。
このブログの当初
音楽を話題にした記事を毎日更新するサイトを目指して立ち上げましたが、それ以前に、私はとりとめのない雑記を毎日noteに書いていました。「音楽を話題にする」という限られた条件のもと毎日記事を書き続ける習慣がまだなく、当初はこのブログサイトでもエッセイ未満の中途半端な雑記を1〜2週間ほどの間更新しました。
音楽について、何をどう書いていいやら考えあぐねながら、音楽が話題の記事をひとつ、ふたつと更新していき、5月から6月に変わる頃には音楽を話題にした記事のみで毎日更新できるようになりました。
しばらくの間は、ネット上をうろうろして気になった曲やアーティストやアルバム、あるいはYouTubeにある音楽動画のことを話題に書きました。ネットをうろつきながら発見することもあれば、以前から自分の心深くにあった大好きな曲を話題にして書くこともありました。
弾き語りカバー動画を投稿し始める
ブログを始めて少し経った、2020年7月半ば。コロナ禍になる以前に、地域のおまつりなどでよく披露していた童謡やポップソングのレパートリーを演奏する機会をすっかり失っていた私は、なんとなく気持ちが興じて、それらのレパートリーを弾き語りした映像を収録し、YouTubeの自分のチャンネルに投稿し始めました。
ひとつ、ふたつと動画の投稿がつらなり、なんとなく毎日投稿。いつしか、つらなった「毎日投稿」を断つのも忍びなくなり、やめられなくなりました。同時に、「(毎日投稿)やれそうだな」という意識が心のどこかにありました。
1年間投稿しつづけることは、この時点ですでに目論んでいたのです。ただ、本当に毎日の事情に打ち勝って1年間投稿を実現できるかどうかまではわからないとも思っていました。
カバーした曲はブログのネタにつかえる
7月半ば頃からカバー動画の投稿をつらねていて、8月頃でしたでしょうか。カバーした曲は、ブログのネタにつかえると気づきます(気付くのが遅い?)。
曲をカバーするには、曲の骨子の観察が必須です。その上で、自分の技術や環境で可能な表現を追求する。それがカバーだと私は考えます。
私の場合は、とにかく弾き語り一発録音にこだわりました。これはカバー動画制作以外でも、普段私が自分自身の作詞作曲を形にする際にも最も尊重している条件です。
この条件には、結果やプロセスにいろんな特徴があらわれます。
まず、ツギハギ編集の手間がいりません。一箇所でも許せないミスをしたら録り直しです(ミスを許すならばそれもOK)。「こんなもんだろう」という基準を厳しく持てば、それだけ自分の演奏技術は上がります。編集で取り繕うことがないので、演奏の質で水準を達するしかないのです。結果、編集がいらない手間と五分五分かもしれません。いや、むしろ労力? でも演奏技術はついてきます。何より、楽しむのが一番。それが財産です。
逸れた話を戻しましょう。
弾き語りカバーに取り組む=すでに観察を済ませている。つまり、それ自体がブログを書くためのリソース(資源)なのです。
8月〜10月くらいまでのあいだは、カバーで観察を済ませた曲をその日のブログのネタにする場合と、それまでのように、ただ気になる曲やアルバム、アーティストの話題をカバーの有無関係なしに取り上げる場合と両方でした。
“カバーしたい歌”は私の人生のテーマだった
10月の半ばくらいだったでしょうか。私はこの頃から、YouTubeチャンネルにアップしたカバー曲と翌日のブログのネタをほぼ完全に一致させるようになります。その慣習が恒常になり、私のソロ音楽ユニットの名前そのままだった『∴bandshijin∵』というブログのタイトルも、『∴bandshijin∵ カバーしたい歌』と改めました。
余談ですが、私のソロ音楽ユニット名の「bandshijin(バンドシジン)」には「バンドで詩をやる」というコンセプトがあります。私の、バンド≒音楽をやる行為が詩なのだという信条の表現です。
ちなみに「bandshijin」を囲っている「∴」は「ゆえに」、「∵」は「なぜならば」を意味する記号。これが、あるモノに似ているのです。おわかりになりますか? マイクとケーブルの接合部の“キャノン”、XLRの接続部の形にそっくりなのです。ケーブルの中に、私の詩(≒bandshijin)が流れるという意匠です。
さらに「∴」と「∵」の3点それぞれの隙間に折れ線を通していくと、「M」「W」のかたちになりませんか? 「Music(音楽)」「Words(ことば、歌詞)」の頭文字です。
……などと説明しなければ伝わらない(説明しても伝わらない?)表現はだいぶ厳しいと自らわかっていつつも、掲げた看板です。
カバーしたい歌には、普遍……あるいは大衆性があります。必ずしも凡庸でつまらないということではありません。特殊な境遇にこそ見出せる普遍もあるでしょう。
音楽を私は愛しているし、私自身にとって、あなたにとってのカバーしたい歌を生み出したいと常に思っています。
心の底に、言葉になる以前の思いがあっても、それを言語化する機会がありませんでした。私は、毎日投稿の音楽ブログと、毎日投稿の弾き語りカバーへの取り組みを通して、その機会を得たのです。実はずっと前から心の中にある願いでした。私のソロ音楽ユニット「bandshijin」だって、「カバーしたい歌」とコンセプト(企図)が重なるのです。私は普遍を歌いたい。誰かの(含む、自分自身の)くちびるからくちびるへ伝い、繰り返し奏でられる音楽を。時間に磨かれて光る歌を私は望んでいるのです。
ブログとカバーを通して、私はずっと胸に抱いていた企図を、希望を、願いを言語化(“カバーしたい歌”と)する機会を得たのです。
365曲を振り返る
私が勝手にやり始めて、勝手に達成した弾き語りカバー365曲。振り返りを記すなら、私のブログ以上にふさわしい場所はないでしょう。誰に関心を持ってもらえるともわかりませんが、ここを訪れてくださっている時点で、そしてこの長文をここまで追ってくれている時点で、多少なりとも(いえ、かなり)あなたは私に関心を持ってくださっているのではないでしょうか。ありがとうございます。
そんなあなたにご覧いただきたい、私が1年間かけてカバーした365曲の一覧。
1-30(2020年7〜8月頃)
手のひらを太陽に(作詞:やなせたかし、作曲:いずみたく)
切手のないおくりもの(財津和夫)
大きな歌(作詞・作曲:中島光一)
アンパンマンのマーチ(歌:ドリーミング、作詞:やなせたかし、作曲:三木たかし)
おもちゃのチャチャチャ(作詞:野坂昭如、補作詞:吉岡治、作曲:越部信義)
夕焼小焼(作詞:中村雨紅、作曲:草川信)
気球に乗ってどこまでも(作詞:東龍男、作曲:平吉毅州)
悲しくてやりきれない(ザ・フォーク・クルセダーズ)
オー・シャンゼリゼ(作詞:Michael Deighan、作曲:Michael Wilshaw)
青空(THE BLUE HEARTS)
はじめてのチュウ(あんしんパパ)
スマイル(ホフディラン)
チェリー(スピッツ)
POISON 〜言いたい事も言えないこんな世の中は〜(反町隆史)
Daydream Believer(The Monkees)
夏祭り(ジッタリン・ジン)
山口さんちのツトム君(みなみらんぼう)
パプリカ(米津玄師)
さんぽ(井上あずみ)
あの紙ヒコーキくもり空わって(19)
借金大王(ウルフルズ)
男の子と女の子(くるり)
卒業写真(荒井由実)
どんなときも。(槇原敬之)
歌うたいのバラッド(斉藤和義)
勝手にシンドバッド(サザンオールスターズ)
さびしいカシの木(木下牧子)
少年時代(井上陽水)
Danny Boy(アイルランド民謡、作詞:Frederic Weatherly)
風になりたい(THE BOOM)
1-30 セルフノーツ
“カバーしたい歌”というコンセプトがはっきり見える前、どこまで続けられるのかもわからずに、一方でこのままいけば1年間くらいできそう……と無根拠に予感していました。地域のおまつりで演奏・歌唱していた曲、ずっと前からのお気に入りなどを中心に、それだけではすぐにネタが尽きることを予感して、レパートリーになかった曲・知ったばかりの曲にもチャレンジしています。ホフディランの魅力に気づいたのはこの頃でした。森七菜による『スマイル』のカバーが曲の魅力を私につなぎました。カバーの意義は、バトンを渡すことでもあります。
19(ジューク)の『あの紙ヒコーキくもり空わって』は私の中学生の頃の思い出曲。意外とこの時点ですでに、カバーした曲をブログのネタにしている場合も多いです。すでに「ブログのネタとカバー曲は連動するが、例外もある」くらいのつもりだったのかもしれません。少し間をおいてから、カバーした歌を記事のネタにしたこともあったかと思います。あるいはその逆?(記事の投稿→カバー)も。
31-60(2020年8〜9月頃)
バンドをやってる友達(ゆらゆら帝国)
世界の終わり(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)
Funny Bunny(the pillows)
上を向いて歩こう(坂本九)
バンザイ 〜好きでよかった〜(ウルフルズ)
終わりなき旅(Mr.Children)
ダイヤモンド(BUMP OF CHICKEN)
16(andymori)
心の中の悪魔(くるり)
ストレンジ カメレオン(the pillows)
夜空ノムコウ(SMAP)
ベガ(キセル)
ヒカリミチテ(キセル)
走れ正直者(西城秀樹)
あっけにとられた時のうた(たま)
Prism(Mr.Children)
Stand By Me(BEN. E. KING)
SPARK(THE YELLOW MONKEY)
島人ぬ宝(BEGIN)
風をあつめて(はっぴいえんど)
SWEET MEMORIES(松田聖子)
ぼくの好きな先生(RCサクセション)
やぎさんゆうびん(童謡。作詞:まど・みちお、作曲:團伊玖磨)
スピーチ・バルーン(大滝詠一)
宿はなし(くるり)
マリーゴールド(あいみょん)
あの青い空のように(作詞:丹羽謙次・潤子、作曲:丹羽謙次)
リンダリンダ(THE BLUE HEARTS)
スローなブギにしてくれ(南 佳孝)
くだらないの中に(星野源)
31-60 セルフノーツ
中高生時代に度々ふれたウルフルズ、ミスチル、バンプ。
the pillowsは高校生のときに知って以来ずっと大好きです。自律や自尊の心を感じるエモーショナルな歌、コード進行……骨子に強度があるthe pillowsはまさに私の理想、憧れの体現者です。
はっぴいえんど、RCサクセション……前から聴き及んではいましたが、腰を据えて鑑賞したのは恥ずかしながらずっと大人になってから。このブログのおかげです。
『Stand By Me』(BEN. E. KING)で英語詞に手を出していますね。高校生のときに軽音楽部の仲間とやった思い出曲です。
なじみのものが好きで保守の姿勢をとりがちな私にとっては、あいみょんはかなりの近作アーティスト。あまりに名前をよく聞くので以前一度聴いてはいたのですが、このブログのおかげでもう一度ちゃんと『マリーゴールド』に触れる機会を得ました。際立った声のキャラクター、感性はもちろん編曲が良く、意外なところに名多重録音ファイターがいることを知りました。歌詞の乗せ方・ことばの切り方が独特だと思いました。
61-90(2020年9〜10月頃)
バカになったのに(The ピーズ)
奇跡(くるり)
ばらの花(くるり)
ひこうき雲(荒井由実)
島唄(THE BOOM)
笑えれば(ウルフルズ)
TAKESHIの、たかをくくろうか(ビートたけし)
ステキなうた(JUDY AND MARY)
やぶれかぶれ(ウルフルズ)
心の瞳(坂本九)
東京(くるり)
Tomorrow(作詞・作曲: 杉本竜一)
花になる(奥田民生)
すばらしいさよなら(友部正人)
浜辺の歌(作詞:林古渓、作曲:成田為三)
インターネットブルース(かもめ児童合唱団)
あなたもロボットになれる(坂本慎太郎)
赤黄色の金木犀(フジファブリック)
茜色の夕日(フジファブリック)
ずっと好きだった(斉藤和義)
坂道(くるり)
ハンマー(48億のブルース)(THE BLUE HEARTS)
砂漠に咲いた花(YUKI、キセル)
12月の雨の日(はっぴいえんど)
There will be love there -愛のある場所-(the brilliant green)
愛のために(奥田民生)
LOVE LOVE LOVE(DREAMS COME TRUE)
ロックンロール(くるり)
のうぜんかつら(安藤裕子)
浜千鳥(作詞:鹿島鳴秋、作曲:弘田龍太郎)
61-90 セルフノーツ
くるり、奥田民生、ウルフルズ、斉藤和義は私の音楽の原風景の多くを占めている人たち。なので頻繁に登場します。私にとっての、ザ・カバーしたい歌アーティスト。
キセルは学生の頃に聴いたくるり主催のコンピレーションアルバム『みやこ音楽』を通して知りました。
フジファブリックを好きになったのは志村正彦の逝去後。追悼フェスのニュースが業界に響いたくらいの頃に聴き出した私の大好きなバンド。
キセルもフジファブリックも歌唱コピーがややむずかしい向きがありますが、独創性高い楽曲と演奏が大好き。彼らもまた、私の音楽の原風景の多くを占める重要なユニット・バンドです。
この時期、かもめ児童合唱団を知ったのが大きかったです。かもめ児童合唱団はカバーソングをたくさん発表しているのですが、選曲のセンスがことごとく私のツボを押します。同時に新しい世界、なんとなく見知ってはいたけどまだちゃんと踏み出せていなかった世界をひらいてくれるのです。かもめ児童合唱団オリジナル曲の『インターネットブルース』も大人をくすりとさせる妙味。プロデューサーの藤沢宏光さんの存在が大きいようです。かもめ児童合唱団のライブを見に、神奈川県三崎港に出かけたのもこの頃でした。
ゆらゆら帝国は高校生の頃から好きでしたが、バンドのギターボーカルをつとめた坂本慎太郎のソロ曲のひとつ『あなたもロボットになれる』を知ったり、友部正人をちゃんと聴き始めたのもかもめ児童合唱団がきっかけです。
91-120(2020年10〜11月頃)
歩いて帰ろう(斉藤和義)
歓びの種(YUKI)
Hey! みんな元気かい?(KinKi Kids)
ボーイフレンド(aiko)
全部だきしめて(KinKi Kids)
タッチ(岩崎良美)
シエラのように(10-FEET)
冬のミルク(THE BACK HORN)
17才(南沙織)
あたらしいともだち(Soggy Cheerios)
くちなしの丘(原田知世)
Raspberry(TRICERATOPS)
空も飛べるはず(スピッツ)
愛のしるし(PUFFY)
今宵の月のように(エレファントカシマシ)
イージュー★ライダー(奥田民生)
にじ(新沢としひこ・中川ひろたか)
ともだちになるために(新沢としひこ・中川ひろたか)
涙そうそう(森山良子、BEGIN、夏川りみ)
恋しくて(BEGIN)
翼をください(赤い鳥)
北風小僧の寒太郎(堺正章)
にんげんっていいな(作詞:山口あかり、作曲:小林亜星)
大きな古時計(作詞・作曲:Henry Clay Work)
ハナレバナレ(キセル)
なんでなん(ウルフルズ)
世界中のこどもたちが(新沢としひこ・中川ひろたか)
見上げてごらん夜の星を(坂本九)
ゲゲゲの鬼太郎(熊倉一雄)
夢の世界を(作詞:芙龍明子、作曲:橋本祥路)
91-120 セルフノーツ
Soggy Cheeriosも、かもめ児童合唱団のおかげで知れました。カーネーションの直枝政広、ワールド・スタンダードこと鈴木惣一朗による音楽ユニット。彼らの『あたらしいともだち』(かもめ児童合唱団とのコラボ版がある)が神がかって美しい曲。イントロがある洋楽に似ていて、ビートルズだと思ったのですがなんの曲だったかわからない時期をしばらく過ごしてもんもんとしたのち、あるときふとしたきっかけで『You Never Give Me Your Money』(アルバム『Abbey Road』収録)だと気づきスッキリしました。Soggy Cheeriosもまた、偉大な先人らのバトンをつなぐ音楽愛を教えてくれる偉大なミュージシャンです。
タッチ(岩崎良美)、17才(南沙織)など懐メロ・アイドル・歌謡の匂いも濃くなってきたこの頃。このブログと弾き語りカバーを始める前は、ちゃんと聴いてこなかった音楽たちでした。
作曲家や作詞家によって生み出される曲は、歌い手を選ばない普遍・大衆性があります。もちろん、このシンガーによるこのコンセプト・テーマありきで作った! という曲も多いと思います。作詞・作曲者と歌手が別ということは、自作自演のバンドやシンガーソングライターと違って、他の人に託すことのできる普遍≒強度が必要です。職業作詞家・作曲家たちから歌手を通してユーザーへもたらされる歌の魅力は、そこにもあると思います。作家から演奏家・歌手へ託せるものは、弾き語りカバーのしやすさと相関があると私は考えます。
具体的に言いますと、類稀なズバ抜けて広い声域(音域)や超絶技巧の滑舌・リズムさばきを要したり、複雑珍奇で覚えづらいモチーフや楽曲構成を含むといったことが稀です。一般的な語彙(歌詞や音楽におけるモチーフや断片)を用いて、独自性高い楽曲を専業作家たちは構築しているのです(もちろん自作自演バンドやシンガーソングライターの作品にそうした技巧がないわけでは決してありません)。
カバー動画投稿のペース(1日1曲ペース)を極力守って継続するため、弾き語りカバーのしやすさの便宜から、そういう曲(職業作家作品)を選ぶことも多くなったのも事実ですが、その普遍・大衆性自体が魅力でもあるのです。もちろん、自作自演アーティストの技量、特殊でくせのある語彙、とび抜けた声域などの個性・天性ありきの楽曲だって、いつもカバーに適さないわけではありません。そうしたものに挑むのは成長のチャンスでもあります。
新沢としひこ・中川ひろたかコンビが生み出す童謡・こどもの歌の多くも、普遍の強度・大衆性、歌い手を選ばない広い間口を持っています。新沢・中川作品に限らず『夢の世界を』など、合唱曲として親しまれるものも大衆性を備えているものが多いですね。童謡・民謡・合唱曲は私の“カバーしたい歌”に、前にも後にも頻出します。
121-150(2020年11〜12月頃)
朝は詩人(友部正人)
益荒男さん(くるり)
ハイウェイ(くるり)
ちいさい秋みつけた(作詞:サトウハチロー、作曲:中田喜直)
君をのせて(歌:井上あずみ、作詞:宮崎駿、作曲:久石譲)
となりのトトロ(歌:井上あずみ、作詞:宮崎駿、作曲:久石譲)
およげ!たいやきくん(歌:子門真人、作詞:高田ひろお、作曲:佐瀬寿一)
学園天国(歌:フィンガー5、作詞:阿久悠、作曲:井上忠夫)
情熱の薔薇(THE BLUE HEARTS)
MOTHER(PUFFY)
深夜高速(フラワーカンパニーズ)
赤い電車(くるり)
ファンキー・モンキー・ベイビー(キャロル)
いい湯だな(ビバノン・ロック)(ザ・ドリフターズ)
おもいでのアルバム(作詞:増子とし、作曲:本多鉄麿)
Believe(作詞・作曲:杉本竜一)
ピンポンパン体操(歌:金森勢・杉並児童合唱団、作詞:阿久悠、作曲:小林亜星)
あわてんぼうのサンタクロース(作詞:吉岡治、作曲:小林亜星)
若者のすべて(フジファブリック)
未知という名の船に乗り(作詞:阿久悠、作曲:小林亜星)
宝くじは買わない(RCサクセション)
さすらい(奥田民生)
オー・チン・チン(歌:ハニー・ナイツ、作詞:里吉しげみ、作曲:小林亜星)
BABY I LOVE YOU(くるり)
Woman(John Lennon)
ガッツだぜ!!(ウルフルズ)
Baby, I LOVE YOU(斉藤和義)
空に星が綺麗(斉藤和義)
Warm and Beautiful(Paul McCartney)
幸せにさよなら(伊藤銀次)
121-150 セルフノーツ
前ブロックの121までに『ゲゲゲの鬼太郎』がありますが、『益荒男さん』(くるり)、『ちいさい秋みつけた』、『君をのせて』(井上あずみ)、『およげ!たいやきくん』(子門真人)など、短調ブームが私に来ていました。
短調は現代(執筆時:2021年)のポップソングの中ではどちらかといえばマイノリティ。それだけでフックになります。もちろん短調の引っ掛かり以上の個性があってはじめて魅力が輝きます。日本で最も売れたシングルといわれる『およげ!たいやきくん』が短調であるのを思うと、それだけでもソングライターたるもの一度は意識した短調の歌づくりに挑戦してみてもよいかもしれません(私自身、自作で出来のよいと思えるものの中に短調のレパートリーがぱっと思い浮かばないので…自分を棚に上げずに率先してやるべし)。
『いい湯だな』作曲者のいずみたく、『あわてんぼうのサンタクロース』作曲者の小林亜星のように、職業作曲家勢(と、仮にここでは呼ばせてください)で大のお気に入りを見つけられたのも、このブログやカバーへの取り組みで得た財産です。彼らの名前で検索して著作リストを眺めると、知っていたあの曲もあの曲もあなたでしたか! と驚くことばかりでした。
151-180(2020年12月〜2021年1月頃)
ただいま(星野源)
ZOO(ECHOES)
Choo Choo TRAIN(ZOO)
まんをじして(奥田民生)
冬越え(細野晴臣)
西東京(赤い公園)
ウキウキWATCHING(歌:いいとも青年隊、作詞:小泉長一郎、作曲:伊藤銀次)
サボテンの花(チューリップ)
粉雪(レミオロメン)
Island In The Sun(Weezer)
家族の風景(ハナレグミ)
友だちはいいもんだ(作詞:岩谷時子、作曲:三木たかし)
嗚呼、青春の日々(ゆず)
いつかのメリークリスマス(B’z)
風の子守唄(作詞:別役実、作曲:池辺晋一郎)
真夏の果実(サザンオールスターズ)
生活の柄(高田渡)
TOKIO(沢田研二)
ひとつだけ(矢野顕子)
銭がなけりゃ(高田渡)
プカプカ(西岡恭蔵)
値上げ(高田渡)
春夏秋冬(泉谷しげる)
嘲笑(作詞:北野武、作曲:玉置浩二)
遠く遠く(槇原敬之)
格好悪いふられ方(大江千里)
恋はマーブルの海へ(小山田壮平)
シーベルト(石崎ひゅーい)
恋は桃色(細野晴臣)
Exit Music(For a Film)(Radiohead)
151-180 セルフノーツ
門間 雄介『細野晴臣と彼らの時代』という本をネットで知って買って読み、細野晴臣への関心がより深まった頃。名作との声を聞くことの多いアルバム『HOSONO HOUSE』とこの機会にやっとまともに対峙しました。曲を鑑賞したりネットや本で当時の様子を知ったりしながら、アルバムのレコーディングがおこなわれた70年代の狭山のアメリカ村の空気に思いを馳せました。
ブログやカバーを発信していると、見た人が反応したり情報をくれたりすることが増えてきて、この頃、高田渡を私にプッシュしてくれた友人がいました。ずっと前に音楽友達にすすめられて高田渡を聴いて以来あまり聴いていなかったので、久しぶりに触れ、カバーしてみるととてもハマりました。西岡恭蔵も奨めていただいたことで認知した味わい深いシンガーソングライター。『プカプカ』は愛唱されているし、彼の矢沢永吉とのつながりなども見えてきました。ミュージシャンシップが新たな曲との出会いをもたらしてくれます。
かつて長いこと親しんだテレビ番組『笑っていいとも!』のテーマソング『ウキウキWATCHING』の作曲者が伊藤銀次。名前を放送のたびにエンドロールで目にしていました。彼がプロデューサーをつとめてウルフルズの素晴らしい作品をいくつも送り出していることを改めて認識。
伊藤銀次と山下達郎と大滝詠一の関係を知ったのもこの時期でした。音楽ユニット、ナイアガラ・トライアングル(3人による発表名義)です。前の項、〜150に含まれている伊藤銀次の『幸せにさよなら』は、もし私が伊藤銀次だったら「我が人生にこの曲あり」と思う特別なエモーションを感じます。決別、諦念、達観……大きな代償があってのみ得られる、人生にそう多くはない貴重な経験が資した歌だと思います。
181-210(2021年1月〜2月頃)
サヨナラCOLOR(ハナレグミ)
年輪・歯車(高田渡)
花〜すべての人の心に花を〜(喜納昌吉&チャンプルーズ)
恋がしたい(ゆらゆら帝国)
When You Wish Upon a Star(作詞:Ned Washington、作曲:Leigh Harline)
Jubilee(くるり)
アジアの純真(PUFFY)
ヒゲとボイン(UNICORN)
ボルボレロ(UNICORN)
リバーサイドホテル(井上陽水)
Mistake(THE BAND HAS NO NAME)
人にやさしく(THE BLUE HEARTS)
コトコトことでん(くるり)
1000のバイオリン(THE BLUE HEARTS)
なんとなくなんとなく(ザ・スパイダース)
満月の夕(ソウル・フラワー・ユニオン)
満月の夕(HEATWAVE)
潮の路(ソウル・フラワー・ユニオン)
明日があるさ(坂本九)
いかれたBaby(Fishmans)
深呼吸(Polaris)
アリラン(朝鮮民謡)
Don’t Know Why(Norah Jones)
今日の日はさようなら(作詞・作曲:金子詔一)
サーカスナイト(七尾旅人)
圏内の歌(七尾旅人)
竹田の子守唄(日本民謡〔京都・竹田〕)
あの素晴らしい愛をもう一度(加藤和彦と北山修)
赤とんぼ(作詞:三木露風作詞、作曲:山田耕筰)
ハナミズキ(一青窈)
181-210 セルフノーツ
奥田民生ソロに多く触れてきた私。UNICORNは特定のいくつかの曲にしか触れてきておらず、聴き漁りながら気に入ったのが、『ヒゲとボイン』。ボコーダーで主題のフレーズ“ヒゲとボイン”を含んだせりふを曲中に含ませていることに今さら気づきました。EBIことUNICORNベーシスト・堀内一史作曲の『ボルボレロ』はバンド再始動後のアルバム『シャンブル』の中でも特に好きです。メンバーそれぞれの活躍も発見をくれるUNICORN。長いキャリアが音楽に幅をもたらすのか、その逆か。
前の段の〜180の『嘲笑』の作曲者・玉置浩二、ならびに奥田民生の周りに井上陽水の影……その関連で、ここにきて『リバーサイドホテル』。ずっと前にテレビでこの曲を知って、エロい歌詞だな〜と記憶していましたが再び味わうとまったく違った発見や感慨に満ちていました。井上陽水の歌詞に含まれる、独特のことばづかい。意味の重複することばをあえて連用するなど、ことばが持つ意味を笑っているかのよう。このあたりから、私は井上陽水の魔法にたびたびクラクラさせられます。
時期が阪神・淡路大震災の周年の時期だったのもあってか、『満月の夕』が私のYouTubeのリコメンドに浮上。ずっと前にこの曲を知ったときにも気になっていましたが、ふたたび鑑賞の機会を得ました。HEATWAVE版とソウル・フラワー・ユニオン版があり、その違いや曲の生い立ちも知りました。娯楽としての音楽の役割を超えたカバーしたい歌。祈りと音楽は、ときに似ます。
祈りについて思うとき、一青窈の『ハナミズキ』も浮かびます。2001年9月11日に起きた同時多発テロ。そのとき、一青窈の友人がアメリカにいたといいます。事件当時、その友人と、一青窈は手紙を交わしたそう。その手紙が『ハナミズキ』の原型になっているのだというお話……伝聞です。恋愛の恒久を歌った曲という印象がありますが、その根底にあるのは「祈り」ではないでしょうか。
七尾旅人の『圏内の歌』も祈りの声そのもの。音楽に娯楽以上の役割を見出していると思います。2011年の東日本大震災。原子力発電所の放射能の影響が懸念される範囲、すなわち「圏内」。そこにいる人の心を歌った曲が『圏内の歌』かと思います。切実に響くサビの歌詞、沈痛に消え入りそうな繊細な七尾旅人の声。ほかの人格を憑依させたように表現する彼はまるでイタコ(霊媒師?)です。
『満月の夕』生みの親のひとり・中川敬、彼のバンド:ソウル・フラワー・ユニオンが紹介してくれる音楽は、まるで世界のすみずみに生きる人の心を網羅する響き。『竹田の子守唄』(もちろん赤い鳥の功績もですが)、『アリラン』などの民謡から私の見知らぬ一生、その人らの生きた地域や環境を垣間見た気がします。
違った角度の話になりますが、ちょうどこの時期、私は風邪を引いて声が出なくなりました。それでも休まずにやれることに取り組みました。声が出ないといいつつも、自分の声域の低めの狭いポジションで1オクターブくらいならばなんとか使えました。選曲に、この条件で歌えるかどうかが影響しました。そうした平易さもまた、普遍・大衆性の側面かと思います。
211-240(2月〜3月頃)
おどるポンポコリン(歌:B.B.クィーンズ、作詞:さくらももこ、作曲:織田哲郎)
なごり雪(かぐや姫)
スーダラ節(歌:ハナ肇とクレージーキャッツ、作詞:青島幸男、作曲:萩原哲晶)
君といつまでも(歌:加山雄三、作詞:岩谷時子、作曲:弾厚作)
心の旅(チューリップ)
恋の季節(歌:ピンキーとキラーズ、作詞:岩谷時子、作曲:いずみたく)
ギャランドゥ(歌:西城秀樹、作詞・作曲:もんたよしのり)
リンゴの唄(歌:並木路子、作詞:サトウハチロー、作曲:万城目正)
リンゴ追分(歌:美空ひばり、作詞:小沢不二夫、作曲:米山正夫)
ラヴ・イズ・オーヴァー(歌:欧陽菲菲、作詞・作曲:伊藤薫)
太陽がくれた季節(歌:青い三角定規、作詞:山川啓介、作曲:いずみたく)
夜明けのうた(歌:岸洋子、作詞:岩谷時子、作曲:いずみたく)
いつも何度でも(歌:木村弓、作詞:覚和歌子、作曲:木村弓)
いつでも夢を(歌:橋幸夫・吉永小百合、作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正)
瀬戸の花嫁(歌:小柳ルミ子、作詞:山上路夫、作曲:平尾昌晃)
お嫁においで(歌:加山雄三、作詞:岩谷時子、作曲:弾厚作)
亜麻色の髪の乙女(歌:ヴィレッジ・シンガーズ、作詞:橋本淳、作曲:すぎやまこういち)
さらば恋人(歌:堺正章、作詞:北山修、作曲:筒美京平)
我が良き友よ(歌:かまやつひろし、作詞・作曲:吉田拓郎)
タイムマシンにおねがい(サディスティック・ミカ・バンド)
喝采(歌:ちあきなおみ、作詞:吉田旺、作曲:中村泰士)
あの時君は若かった(歌:ザ・スパイダース、作詞:菅原芙美恵、作曲:かまやつひろし)
バンバンバン(歌:ザ・スパイダース、作詞・作曲:かまやつひろし)
涙の太陽(歌:エミー・ジャクソン、作詞:湯川れい子、作曲:中島安敏)
Boy(斉藤和義)
守ってあげたい(松任谷由実)
ルージュの伝言(荒井由実)
結婚しようよ(吉田拓郎)
帰って来たヨッパライ(ザ・フォーク・クルセダーズ)
いつまでも いつまでも(ザ・サベージ)
211-240 セルフノーツ
1940年代、戦後を象徴する有名曲『リンゴの唄』から斉藤和義の2021年リリース曲『Boy』まで。
60年代〜70年代を多く扱いました。前の項の〜210にある『なんとなく なんとなく』を筆頭に、ザ・スパイダースに在籍したかまやつひろしのソングライティングにたいへん魅了されました。グループサウンズ(GS)への関心も高まりました。
『太陽がくれた季節』『夜明けのうた』など、いずみたくメロディ。かまやつひろしといずみたくのメロディの魅力の共通点を強いて挙げれば、ひとつには覚えやすい同型反復があると思います。
『君といつまでも』『お嫁においで』作曲の加山雄三(筆名:弾厚作)や、いずみたくとも多く残している岩谷時子の詞も私の音楽の港のひとつになりました。
『いつも何度でも』(千と千尋の神隠し)、『ルージュの伝言』(魔女の宅急便)、『おどるポンポコリン』(ちびまる子ちゃん)など、アニメやアニメ映画と音楽の関連もよく私の道標になってくれます。
斉藤和義の新曲・BoyもMVがアニメーション。漫画家の浦沢直樹とのコラボ作品です。男の子のバカな突進力と儚い青春、野心と折り合う壮年の哀愁が胸に迫る映像と音楽に泣きました。
『守ってあげたい』『ルージュの伝言』など、荒井由実・松任谷由実ことユーミンの曲はアニメ映画との関連で思い出すことも多く、彼女もまた私のザ・カバーしたい歌アーティストのひとりで頻出します。
241-270(3月〜4月頃)
世界は二人のために(歌:佐良直美、作詞:山上路夫、作曲:いずみたく)
ルビーの指環(作詞:松本隆、作曲:寺尾聰)
夢の中へ(井上陽水)
HELLO(福山雅治)
パレード(山下達郎)
青春の影(チューリップ)
酒と泪と男と女(河島英五)
やさしさに包まれたなら(荒井由実)
時をかける少女(歌:原田知世、作詞・作曲:松任谷由実)
真夜中のギター(歌:千賀かほる、作詞:吉岡治、作曲:河村利夫)
赤い花 白い花(歌:赤い鳥、作詞・作曲:中林三恵)
まちぶせ(歌:三木聖子、作詞・作曲:荒井由実)
君は天然色(大滝詠一)
夢で逢えたら(歌:吉田美奈子、作詞・作曲:大瀧詠一)
ふれあい(歌:中村雅俊、作詞:山川啓介、作曲:いずみたく)
接吻(ORIGINAL LOVE)
硝子の少年(歌:KinKi Kids、作詞:松本隆、作曲:山下達郎)
涙のキッス(サザンオールスターズ)
黄昏のビギン(歌:水原弘、作詞:永六輔、作曲:中村八大)
東へ西へ(井上陽水)
いい日旅立ち(歌:山口百恵、作詞・作曲:谷村新司)
ブルドッグ(歌:フォーリーブス、作詞:伊藤アキラ、作曲:都倉俊一)
涙くんさよなら(歌:坂本九、作詞・作曲:浜口庫之助)
本能(椎名林檎)
みんな夢の中(歌:高田恭子、作詞・作曲:浜口庫之助)
砂山(作詞:北原白秋、作曲:中山晋平)
Yesterday Once More(Carpenters)
シャボン玉(作詞:野口雨情、作曲:中山晋平)
ハイブリッド レインボウ(the pillows)
卒業(歌:斉藤由貴、作詞:松本隆、作曲:筒美京平)
241-270 セルフノーツ
松本隆の作詞の世界に関心を深めたのもこのブログのおかげです。松本隆や彼の関連作品を特集した雑誌を買って読みました。私のカバーしたい歌にも松本隆作詞のものが頻出します。241〜270では『ルビーの指環』『君は天然色』『硝子の少年』『卒業(斉藤由貴)』がそうです。さまざまな主人公でさまざまな物語を魅せる作詞。『君は天然色』は現実の松本隆の当時の境遇が反映された作品として有名ではないでしょうか。悲しみのさなかにいると、人間には光景がモノクロに見えるのかもしれません。提供を受けた歌手も幅広く、あれもこれも松本隆でしたかと気づきます。寺尾聰(『ルビーの指環』)に至ったのは〜240の項に入っていたグループ・サウンズ・バンドのザ・サベージが伏線になっています。寺尾聰はバンドのベーシストだったと知りました。
『世界は二人のために』『ふれあい』などいずみたく作品も引き続き取り上げています。『世界は二人のために』はエヴァンゲリオンのアニメーション映画の新作で登場人物が口ずさむシーンがあったのが選んだきっかけにもなっています。これも、いずみたく! といった具合です。
作詞と作曲の両方を兼任する作家、浜口庫之助の影も濃いです。きれいなメロディで親しみやすく、歌詞も音楽も平易な語彙による魔法がかかったかのよう。『涙くんさよなら』は時間が経っても埋没しない愛嬌を持っています。愛嬌、哀愁、独創を共立させる奇跡のバランス。高田恭子『みんな夢の中』も歌謡の心を啓発する良作です。
福山雅治『HELLO』、椎名林檎『本能』はちょうど私が10代くらいまでの頃の曲。すでに馴染みのあったものへの触れ直しも含ませています。福山雅治のメロディの個性にはあらためて驚きました。当時は流行歌として聴き流していて気づかなかった魅力です。
〜270の頃、YouTubeにアップされた大滝詠一のラジオを聴いて受けた影響も大きいです。大滝詠一がJポップの歴史を横断して語る内容のもので、日本のポップスの起こりに中山晋平の存在を絡めて語っていました。童謡として知られてもいる『砂山』を選んだのはそうした動機がありました。曲について調べ、中山晋平が曲を発想した背景を知りました。架空の主人公と設定でドラマをつむぐ流行歌づくりとはまったく違うアプローチです。自然を題材にした詩情。100年を超える強度とロマンがあります。ほかの日本歌曲や童謡にも私のまなざしを誘引しました。
271-300(4月〜5月頃)
四季の歌(作詞・作曲:荒木とよひさ)
サヨナラ(歌:GAO、作詞:GAO、作曲:階一喜)
Hello, Again 〜昔からある場所〜(My Little Lover)
海へと(歌:PUFFY、作詞・作曲:奥田民生)
こいのうた(GO!GO!7188)
虹とスニーカーの頃(チューリップ)
小さな恋のうた(MONGOL800)
木綿のハンカチーフ(歌:太田裕美、作詞:松本隆、作曲:筒美京平)
ワインレッドの心(歌:安全地帯、作詞:井上陽水、作曲:玉置浩二)
遠くへ行きたい(歌:ジェリー藤尾、作詞:永六輔、作曲:中村八大)
やさしくなりたい(斉藤和義)
異邦人(久保田早紀)
明るい表通りで(作詞:Dorothy Fields、作曲:Jimmy McHugh)
グッドモーニング(くるり)
飾りじゃないのよ涙は(歌:中森明菜、作詞・作曲:井上陽水)
ハローグッバイ(くるり)
川の流れのように(歌:美空ひばり、作詞:秋元康、作曲:見岳章)
やわらかな日(斉藤和義)
また逢う日まで(歌:尾崎紀世彦、作詞:阿久悠、作曲:筒美京平)
マシマロ(奥田民生)
僕たちの失敗(森田童子)
雨あがりの夜空に(RCサクセション)
ありがとう(井上陽水奥田民生)
会いに(フジファブリック)
セロリ(山崎まさよし)
ギザギザハートの子守唄(歌:チェッカーズ、作詞:康珍化、作曲:芹澤廣明)
贈る言葉(歌:海援隊、作詞:武田鉄矢、作曲:千葉和臣)
The STANDARD(奥田民生)
赤橙(ACIDMAN)
もしもピアノが弾けたなら(歌:西田敏行、作詞:阿久悠、作曲:坂田晃一)
271-300 セルフノーツ
荒木とよひさの『四季の歌』は声域が短6度あれば歌えます。これに気づいたときはかなり驚きました。童謡でも1オクターブ(8度)くらい使用するものが多くあります。使用する声域が狭くて済めば、それだけ多くの人が口ずさめます。高い技術や身体能力が不要だからです。それも普遍・大衆性だと思います。実際、この歌は、一般の人たちの口伝いで広まったといいます。
『木綿のハンカチーフ』(太田裕美)、『また逢う日まで』(尾崎紀世彦)など筒美京平の曲も選びました。彼の曲は音楽の仕掛けやモチーフに富み、演奏難易度は高めでカバーしやすいとは言い難い。構成の妙、和音進行の独創など音楽に意外さをふんだんに含ませています。技術のある歌手が媒介して多くのヒットを生んだと思います。
音楽が高度という意味ではくるりの楽曲も複雑なものが多いです。曲のキャラクターが多岐。普遍・大衆性の押さえどころが絶妙です。ボーカルメロディに比重があるレパートリーの中にはカバーしやすい歌もあります。〜300では『グッドモーニング』『ハローグッバイ』を選びました。くるりは私のザ・カバーしたい歌アーティストでもありますし、カバーしたいかどうか以前に別格のフェイバリット・ミュージシャンです。
筒美京平、坂田晃一、松本隆、秋元康、阿久悠ら専業作家。くるり、奥田民生、斉藤和義、フジファブリック、チューリップなどこれまでも取り上げていて別格で好きなバンドやソロアーティスト。MONGOL800、GO!GO!7188、ACIDMANなど私自身の高校生くらいの頃の思い出がよみがえりそうなバンド。これらの入り混じったおよそひと月でした。
『木綿のハンカチーフ』『川の流れのように』など、いつかやりたいと思っていつつもしりごみしていたカードも切っています。1日1曲ペースとは別次元の心構えやリハーサルの必要を感じていました。結局はやるかやらないか、のみなのですけれど。
1日1曲という制約には、じっくり取り組むには時間が足りない(私の条件においては)というデメリットもあります。もちろん、1日1曲をこなした上でさらなる時間を捻出すれば良いのですが……どんな個人も、1日24時間。人は、ひとり分しか生きられないのだと、あたり前のことを痛感しました。天才も超人も、与えられた条件は同じなのです。もちろん、環境や身近な資源量の差異はあるでしょうけれど。
こってりとしたリハーサル量や、相当な観察量を要する複雑な曲、再解釈の余白を見出しづらい曲はどうしても遠ざけてしまいがちになる……これは、私の1年間に積もった宿題です。
301-330(5月〜6月頃)
神田川(かぐや姫)
天体観測(BUMP OF CHICKEN)
もうひとりの俺(矢沢永吉)
世界を止めて(THE COLLETORS)
消えない絵(真心ブラザーズ)
真赤な太陽(歌:美空ひばりとジャッキー吉川とブルー・コメッツ、作詞:吉岡治、作曲:原信夫)
幸せな結末(大滝詠一)
キャンディ(歌:原田真二、作詞:松本隆、作曲:原田真二)
風になる(つじあやの)
Take Me Home, Country Road(John Denver)
I Just Called to Say I Love You(Stevie Wonder)
ナイトクルージング(Fishmans)
Can’t Help Falling In Love(Elvis Presley)
Close to You(Carpenters)
Raindrops Keep Fallin’ On My Head(B. J. Thomas)
Jealous Guy(John Lennon)
Love Me Tender(Elvis Presley)
Over the Rainbow(Judy Garland)
Moon River(Frank Sinatra)
Down by the Sally Gardens(アイルランド民謡)
You Are My Sunshine(Pine Ridge Boys)
Oh, Pretty Woman(Roy Orbison)
My Way(Frank Sinatra)
愛は勝つ(KAN)
Michael(黒人霊歌)
若者たち(ザ・ブロードサイド・フォー)
San Francisco(Be Sure to Wear Flowers in Your Hair)(Scott McKenzie)
ばらばら(星野源)
Annie Laurie(スコットランド民謡)
埴生の宿(イングランド民謡)
301-330 セルフノーツ
悪くいえばネタ切れか? 欠乏するほど網羅していないのでそれも違います。日本語詞の日本のポップスの中で選びつづけるのが息苦しくなってきたのは事実。苦しさが、外へ踏み出す動機になったかもしれません。
堰を切ったように横文字が並びました。英語詞をたくさん選んでいます。意味を分かっているようないないような。韻を踏む発声・発音のリズムの気持ちよさは意味を超越します。共通点のある音声が繰り返しやってくる、押韻の快感は万国共通なのです。
多くの英語詞の民謡には、日本語詞が存在します。もちろんあとから日本語と英語ができる人間(おおむね日本人)がつけた(訳詞した)のですね。意味をよく汲み取って言語の変換に成功しているものもあれば、異なった性格を持つものもあるようです。
民謡はおおむね5音音階を用いていて、似たようなメロディになりがちです。それでも日本のものとイギリス民謡では何か違う。なんでしょうね。日本民謡は短調のじっとりと重めな雰囲気を持っているものもあります。イギリス民謡にそれがないわけではないでしょうが、じっとりと重い短調のものはあまり例が思い浮かびません。カラリとしています。日本は雨がよく降る国だからでしょうか……安易なことはいえませんが、気候が育む国民の気風も無関係ではないと思います。
民謡以外でも英語の歌を多く選んでいます。ジョン・デンバー、スティーヴィー・ワンダー、エルヴィス・プレスリー、カーペンターズ、ジョン・レノン、フランク・シナトラ……ずっと前から知っている海外アーティストの有名な歌。カバーをやりはじめて早い段階で唾をつけてはいました。期が熟したから取り上げ始めた……というわけでもないのですが、私の中で心の準備が必要でした。
海外アーティストの歌に限らず、国内のものでもずっと前からお気に入りの歌に限ってすぐには取り上げられないことが多かったです。いくつかの動機が重なったときに、ようやく重い腰をあげることがありました。無意味なたじろぎ(ウダウダ)だとも思っています。その曲がありがたくて、大事に思いすぎていて、軽率に触れないのです。
音楽に限らず、対人関係でもそういうことが私にはあります。重大な影響を自分に与えかねないものを、静観しがち。恒常を保ちたいと防衛本能が働くのでしょうか。そのくせ常に「変わりたい」と願ってもいます。矛盾ですね。
スコラーズというグループが歌ったイギリス民謡を収録したコンピレーションがあり、そこからたくさんのネタをいただきました。グループが取り上げている曲が、私の手元のいくつかの歌本に掲載されていることもありました。動機が重なると私はようやく動けるようです。
THE COLLETORS『世界を止めて』、つじあやの『風になる』など、知っているつもりで私の認知が甘かったアーティストの作品と向き合えたのも財産です。すごい曲を書く人を私はたくさん見過ごしていると実感しました。
BUMP OF CHICKEN『天体観測』は〜300の後ろの方の思い出ソングシリーズのはみ出し。厚く重ねたギターを中心としたバンドサウンドと歌詞・ボーカルの独創の極み。迂闊に触れない名作です。BUMP OF CHICKENを中学生〜高校生の時の私は、食う・寝る・バンプというくらい繰り返し聴いていました。ある時代に猛烈に触れていた音楽との出会い直しに、新たな発見があります。
331-365(6月頃〜7月21日)
Scarborough Fair(イングランド民謡)
Greensleeves(イングランド民謡)
蛍の光(スコットランド民謡)
Beautiful Dreamer(Stephen Foster)
You’ve Got a Friend(Carole King)
Tears In Heaven(Eric Clapton)
らくだの国(歌:PUFFY、作詞・作曲:斉藤和義)
いい女(ウルフルズ)
ニシエヒガシエ(Mr.Children)
いっそセレナーデ(井上陽水)
渚にまつわるエトセトラ(歌:PUFFY、作詞:井上陽水、作曲:奥田民生)
バラが咲いた(歌:マイク眞木、作詞・作曲:浜口庫之助)
Don’t Look Back In Anger(Oasis)
ろっかばいまいべいびい(細野晴臣)
Dinah(Eddie Cantor)
めだかの兄妹(歌:わらべ、作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかし)
Beautiful Sunday(Daniel Boone)
赤い靴(作詞:野口雨情、作曲:本居長世)
Desperado(Eagles)
君が僕を知ってる(RCサクセション)
ともだち(歌:坂本九、作詞:永六輔、作曲:いずみたく)
旅人よ(歌:加山雄三、作詞:岩谷時子、作曲:弾厚作)
野球(くるり)
帰れない二人(作詞・作曲:井上陽水・忌野清志郎)
さよなら人類(たま)
瑠璃色の地球(歌:松田聖子、作詞:松本隆、作曲:平井夏美)
Eleanor Rigby(The Beatles)
Just Walkin’ in the Rain(歌:Johnnie Ray、作詞・作曲:Johnny Bragg、Robert Riley)
夏色(ゆず)
たどり着いたらいつも雨降り(吉田拓郎)
Have You Ever Seen the Rain?(Creedence Clearwater Revival)
Diana(Paul Anka)
愛燦燦(歌:美空ひばり、作詞・作曲:小椋佳)
君が好き(Mr.Children)
夏なんです(はっぴいえんど)
331-365 セルフノーツ
365に駆け込む最後のブロック。なんでもありですね。はじめのうちは〜331後半のイギリス地域の民謡ラッシュの続き。『スカボロー・フェア』はサイモン&ガーファンクルの功績がありがたい。現代の私に届く紐付けの役割を果たしてくれています。先人の口に宿ったものを受け取り、自分のハンコを押して現在に提示し直すこと(私が細野晴臣の思想から受けた影響です)。ミュージシャンの使命だと思います。独創や斬新さとは、伝統・歴史・体系の先にあるものなのかもしれません。過去を学んでこそ、新しいものがつくれるのです。
その意味では、くるりの『野球』は矢野清作曲で野球応援音楽として知られる『天理ファンファーレ』をモチーフにしています。〜150で扱った、くるり『益荒男さん』も明治時代の流行歌といわれる『オッペケペー節』をモチーフにしています(『野球』『益荒男さん』ともに2021年4月発売のアルバム『天才の愛』に収録されています)。くるりは真のミュージック・ラバーであり、私の鑑。これまでも、これからも。
『蛍の光』は閉店の音楽(“追い出し”とも)として有名。大衆の音楽という意味では、この国でもっとも知名度のある曲のひとつではないでしょうか。それだけでは、かつての私なら「なぜ私が選ぶのか」、自分を納得させられませんでした。この頃はイギリス地域の民謡に光を当てた流れがあったので、それを動機に選びました。複数の側面から光を当てることで、対象の真なる造形に近づけることを自覚します。
キャロル・キングは以前から気になる存在で、素晴らしいソングライターだと思っていました。この頃、ジェームス・テイラーによる『You’ve Got a Friend』を聴いて曲の良さをなお実感。男声でのカバーの直接のヒントを与えてくれ、動機づけになりました。
『らくだの国』(PUFFY)は私の心の原風景ミュージシャン・斉藤和義がPUFFYに提供した歌。シームレスな孤独や放浪を思わせる独創的な秀作。斉藤和義のセルフカバーでは編曲者としてキセルが携わってもいます。
PUFFYは私が特別好きな多くのミュージシャンから提供を多数受けており、彼女らもまた私の音楽の港となって365曲にたびたび登場しました。提供を受けることは、その時点で作詞・作曲者と歌唱者のハンコが並ぶ事象です。連名の利をはじめから帯びる強みがあります。言うまでもなく、彼女たちのキャラクターが魅力を増幅しているということ。原曲の塗り替え……着彩・彩色もまたオリジナリティの一部です。
『Greensleeves』『Beautiful Dreamer』などは中学〜高校の頃の音楽の教科書に掲載されていたこともヒントになりました。歌本や教科書は私の365曲にたいへん大きな助けとなりました。
ビートルズ、エリック・クラプトン、イーグルスなど、少し上の世代の洋ロック好きと通じ合えそうな定番。
くるり、斉藤和義、奥田民生、Mr.Children、ウルフルズ、Oasisなど、心の原風景にこれまでもあった邦・洋を越えた大のお気に入り。
自分の特定の時代(中学生の頃)と強く結びつく、ゆず。
『赤い靴』など、「なぜ私が取り上げるのか」動機がもてないで素通りして来てしまっていた童謡。
坂本九+いずみたく、加山雄三(弾厚作)+岩谷時子、井上陽水+奥田民生あるいは忌野清志郎、松田聖子+松本隆など、高めあう名コンビ。
浜口庫之助、吉田拓郎……さかのぼってなお見えてくる、シンガーソングライターの姿、脈絡。
頂点に輝き続ける歌手の鑑、美空ひばり。
それぞれの切り口で日本のロックを証明するバンド、はっぴいえんど、RCサクセション……
意識したわけではありませんが、365曲目へのタッチダウンに向けて、私の1年間を全部盛りしたような様相に。
成果と課題
1年間やってみて感じた影響
作詞・作曲の語彙、演奏力
音楽の語彙が増えました。手癖でぽろぽろっと曲をつくってみるとわかります。特定の曲の真似のようなフレーズも出てきますし、複雑にカクテルされて出てきもします。
歌詞も、ことば選びや反射神経に1年間で得た刺激が反映され出したのを感じます。特に井上陽水のことばの意味を笑うかのようなナンセンスなセンス、あえての重複もたせには具体的に影響を受けた実感があります。
メロディで影響を受けたのはやはり、いずみたく、かまやつひろしなどの同型反復のセンス。平易で口ずさみやすいモチーフのリフレインで曲が作れることを学びました。
演奏力・歌唱力。完全に自己評価の域ですが、「1日1曲」が効きました。かつての私は、特定のレパートリーを毎日繰り返し練習・演奏する習慣がありました。毎日別の曲に取り組むことで、刷り込まれていない動作を日々インプットし、発露させることになります。慣れない音形、音楽における語彙に日々出会うチャンスが持てるのです。結果、演奏力・歌唱力の開発になりました。
1日1曲をこなすにあたり、日々、常に好きなだけ大きい音や声を鳴らせる環境にあったわけではありませんでした。むしろほとんどの機会は制約下にありました。結果、ヒソヒソ声を多用。これは、ウラ声と実声のあいだくらいの声を訓練する機会になりました。ミクストボイスとでもいうのでしょうか。音程的なものもそうですし、音量(声量)のコントロールも強いられます。これらが、歌唱力アップにつながったと思います(あくまで自己評価、ですが……)。
ヒソヒソ声は、ギターでいえばフィンガー・ピッキング。プラスティック片のギター・ピックをつかって大音量でストロークする以外の表現の追求になりました。特にベースと上声にべつべつの動きを持たせ、組み合わせた奏法です。我ながら、365曲に取り組む前は、割とサボりがちだった表現だと思います。
ウクレレ
毎日取り組むなかで、変化も欲しくなります。ウクレレにも積極的に取り組みました。弦の本数が少ないこと(ギター=6本、ウクレレ=4本)、ベースと上声を分離してプレイすることを想定したチューニングではない(ウクレレのベーシックなチューニングは最も低い弦から最も高い弦に向かって順番に並んだチューニングではないのです。そのおかげで、独特の浮遊感や愛嬌ある響きが出ます)ことに甘んじて、アレンジを単純化するのに良くも悪くも利用しました。おかげでウクレレのコードストロークの弾き語りの習得はかなり捗りました。
ハーモニカ
テンホールズ・ハーモニカの習得も捗りました。複数のパートに役割を分散させ、イントロや間奏でメロディを表現したポップスは多いです。それらをギター1本で表現するには、コード、メロディ、ベースのおおむね3役を兼ねなければなりません。役割を網羅したソロプレイの訓練になりましたが、良くも悪くも、ハーモニカに逃げることもありました。ハーモニカ・ホルダーを用いてギターなどと同時に演奏すれば、少なくともメロディの負担をハーモニカに逃すことができます。ハーモニカを「弾き語りの友」と私は呼んでいます。
ちなみにピアノならば複数の役割を1人で網羅できない心配は少ないですが、そのぶん演奏のハードルがあがるのでリハーサルや曲の習得に時間がほしくなります。結果、365曲で私がピアノを用いたのは「ごくたまに」でした。音量も大きく出てしまいがちなので、その制約もありました。電子ピアノなどを用いれば音量の制約はクリアできますが、ラインでつないだ薄っぺらい出音(つまり、外に出る音が無い。ヘッドホンの中のみの音)が私の志向(音の好み)にあまり合いませんでした。楽器と声が両方とも空間に響いた音声こそ、「弾き語り」だと思います。
声域への意識
ボーカルの使用音域を具体的に把握する習慣もつきました。使用する声域がどこからどこまでで、自分に歌えるかどうかが自分の取り組みに影響するからです。すでに似たようなことを書きましたが、作曲家が書いて歌手が歌うものは、歌い手を選ばない声域でパフォーマンスできるものが多いです。一方、バンドやシンガーソングライターは自身の声域でパフォーマンスするため、オリジナルキーが常人ばなれしていることがあります(スピッツが良い例ですね。Mr.Childrenも難しいものが多いです)。高さは移調で解決できるので、使用音域の広さに注目します。キーが常人ばなれしていても、音域の広さは1オクターブ半くらいにおさまるものがほとんど。2オクターブに届くものは稀です。つまり、ほとんどは移調で解決できます。ただし、ギターの特定のポジションのコードの響きとの関係で、特定のキーと相性の良し悪しがある場合があります。鍵盤の場合も黒鍵が多いキーになってしまうと演奏しづらい、といった影響が考えられます。技術でカバーしうるとは思いますが。
作譜(カンペ)
カンペづくり(作譜)のフォーマットが自分の中でできました。歌詞を横書きし、1曲を見開き(左右。合計2ページ)に納めます。歌詞に小節線(タテ棒)を引き、和音はコードネームではなく度数を数字でふります。歌い出しのリズムの起点に不安がある場合はブレス記号や具体的な休符を描き込みます。音程の上下に不安がある場合は、音程の上下を視覚的にあらわす横から見た階段みたいな線を引っ張ります。あるいは、歌詞に音名を直接書き込みます。
このフォーマットは歌詞表現重視。メロディやリズムなど、音楽要素は暗記に頼るので、音楽が複雑で暗記が心許ないほどに、書き込みでノートが真っ黒(真っ赤)になってしまいます。その場合は普通の5線譜のほうが有利です。
ただ、毎日1曲をこなす上では便利で低燃費。本当はコードメロディ譜(5線にメロディを起こし、コードネームをふったもの)を毎日書いたほうが音楽の素養になるかもしれません。そこは私のやり方の学習上のデメリットだったと思います。ただし、歌詞から受けるインスピレーションが大きいのはメリット。また、コードを度数で書き込んでおけば、途中でキーを変えたくなっても影響ありません。5線譜の場合は途中でキーを変えたくなったら読み替え(移調奏)が必要になります。総合的に見て、カバー動画を毎日制作しつづける取り組みにおいては、カンペとしてコストパフォーマンスが良いため、おおむね歌詞優先形式のこのフォーマットを採りつづけました。
ただし、これはと思うメロディの動きは5線譜に起こし、ブログで説明の補足として写真を撮って画像を用いました。5線はメロディの動きを客観できるので学習にたいへん貢献します。流行歌は直情で捉えてしまいがちなので、その要素を音符に分解するメリットは大きいです。
ちなみに、1年間取り組んで10冊ほどのカバー歌詞ノートができました。1冊30枚(60ページ)の無印のA5ノート(罫線なし)を愛用しました。
ポップスの枠、サイズ感
こうしたことから、ポップソングの外枠がかなりつかめました。曲の長さは? 構成は? 歌詞の量は? メロディの音域は? 楽器の編成は? コード進行は? だいたいこれくらいという量感・質感についてです。
こうしたことの実践知が得られると、ポップスも決して得体の知れない魔法ではないと思えます。そこから、新しさへのヒントや気持ち良いはみ出し方、心地よいブレークスルー、破壊と創造の手がかりが得られるはず。…すでに得られつつあるなどと、大衆性ある「実績」めいたものを何も持たない私が言っても説得力がないかもしれません。果たして私が得たのは徒労か、かけがえのない財産か……今後も適当に見守っていただければ幸いです。
今後の課題
〜300のところにも書きましたが、どうしても1日1曲ペース(ノルマ)をこなすうえで、すぐにできない複雑な曲や難しい曲、オーバーサイズな曲を遠ざけがちでした。
自分が“カバーしたい歌”を生み出すための学習(より良いオリジナルをつくるための研究)を目的に続けた取り組みでしたが、その学習ノルマ自体がきつくて、肝心の自分の創作が後手になるという本末転倒も反省点。自分を律し、なあなあにしないために1日1曲のペース設定は有効でしたが、今後は本当にやりたいことのためにより理想的なペース設定を計画して実行する必要を感じます。
ネタさがしには歌本の蔵書や手持ちのCDなども活用しましたが、音楽サブスクリプションサービスや無料動画サイト(YouTube)に頼ることが圧倒的に多かったです。便宜とコスト抑制の観点で仕方ないと思いつつ、結果として誰もがアクセスしやすいものに選曲(学習の題材)が偏ります。今後はレコードやCDをもっとディグる、ラジオを聴く、専門誌に情報を求めるなど、マニアックなもの、「これは知らなかった」と思ってもらえるような個性的でユニークなものにもなるべく多く触れられたらいいなと思います。
自分のミッションは“カバーしたい歌”だと気づいたのは大きな成果でしたが、「歌もの」「ボーカル音楽」以外から受ける刺激や学びの希求が後手になりがちでした。
対象を絞るのも大事でしょうが、他ジャンルの開拓がボーカル音楽をより豊かにする説も一理ありそうです。それを言い始めると、音楽の枠から出て漫画や映画や演劇などからも学ぶべし! などと始まりそうですが……もちろん、音楽は宇宙の一部。その自覚や広い視野はいつも持っていたいです。
長々長々、お読みいただきありがとうございました。
今後も何卒よろしくお願い申し上げます。
青沼詩郎
弾き語りカバーに取り組みながらつくった曲のひとつ『Botch』。この曲をつくった当時は槇原敬之の楽曲のエモさに影響を受けました。
弾き語りカバーに取り組みながらつくった曲のひとつ『アイスプリーズ!』。かまやつひろしやいずみたくの同型反復を尊びます。